画やロートアイアンなど自分で表現できること、それに日常の出来事や話題など気の向くままに紹介してゆきます。
タイトル画像の門扉は軽井沢で以前施工したものです。

2011年1月4日火曜日

デッサン考

ロートアイアンの門扉などの依頼がありますと私の場合はまず全体のイメージを幾つも走り描き(グチャグチャ状態、ラフスケッチ?エスキース?)することかとから始めます。
お客さまの話をお聞きしながらそのような走り描きを見ていただきお好みの感じを掴みとることもあります。
そのうち「オッ」とか「アッ」とか思える線や形が見つかってくるとそこから全体の姿に発展させるのです。
絵画的にはそこからデッサンとして形を整えて行くことになるのですね。

若いころに画家の アトリエに通っていましたが、そこでは石膏デッサン、人体デッサンもしましたが、人体では5分あるいは10分で線描してしまうクロッキーが多く、始めて入門したとき先生がスケッチブックに1枚描くたびに番号を付けてみなさい、そして500枚位描いたらなんとか形が描けるようになるやろ、と話されたのが印象的でした。あくまで目安としてでしょうけれど何番まで番号付けてたかは覚えていません。
時間をかけて明暗も観察しながら面として描きこんでデッサンとなります。
専門の美術の場ではどのように定義付けされてるのか知らないのですが、デッサンは英語ではドローイングというそうです。
私にはドローイングというとどうしても 線描そのものをイメージしてしまうのですがどうなのでしょうか?
クロッキーや図面など、あるいは筆での線描(面塗り・ぺインティング?ではなく)や書などもドローイングではないかと思うのですが。
どうもデッサン=ドローイングではないようにも思えるのです。
せいぜい≒ くらいで、その違いは文化的な背景があるのでしょうか、それとも全く違う文化圏のしかも私の理解違いなんでしょうか。
門扉を作るのにはその違いは全く関係ありませんでしたね。
どうしてそんな事が気になるのといいますと、門扉の一応デッサンらしきものが見えてきますと最後は図面にしなければなりませんのでその事を念頭にして線描きするわけです。全体のデッサンはあっても個々の鍛造するディテールや鉄棒のラインなどをバランスよく美しく見えるラインを線描きするのです。
ここでこれは「ドローイング」やなあ~と思いながら描いてるわけです。
それでドローイングというのはデッサンの中に含まれる概念ではないかと感じてしまうのです。
なかなかきれいな線が得られない時は過ぎて行く時間を歯がゆく思いながらデッサン力が 足らんなあ~と思ってしまうのです。
油彩などの絵を描いているときも面塗りだけでなく筆の線で表現する場面に直面することがありますが、こういうときにはやはり日本人なのか書の筆さばきの出来栄えを見るような審美感で自分の描いてるものあるいはその部分の出来栄えの良し悪しを感じてしまうことがあるのです。
 もっと書をやっとけば良かったと思う瞬間です。
そういう時に書のことを英語でいうカリグラフィーより美術的には線描としてドローイングという方が馴染めるような気がするのですが、まそれは余計なことです。
 ロートアイアンはもちろん建築の中で機能する場合が多いのですから、図面にする際には単にデザインを支えるデッサンだけでなくその中に構造的な強度や機能なども十分考慮して図面となります。

長々と なりましたがお正月らしく真面目に考えてみました。

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